2003年9月

水城跡

663年白江村の戦いで唐・新羅の連合軍に敗れた日本は、翌664年に唐・新羅の侵攻に備え、太宰府を防御するための土塁を築きます。この土塁(防御施設)のことを水城といいます。水城は前長1.2km、基底部の幅80m、高さ10m以上、外側(博多側)にはその名の通り幅60m、深さ5mの堀を掘って水を貯めていたこが最近の調査などで判明しております。
水城跡は春日市、太宰府などに残っているようですが、今回は太宰府政庁跡を見学しながら回ったので、太宰府市水城にある水城跡を見学しました。


一番上の画像のような案内板、石碑、そして説明版はあるんですがどれが水城跡か、よくわかりません。


説明版にあった場所はこの辺り、丘、崖にも見えますが人工的に築かれたと言われれば
そういうようにも見えますが。人家の裏側にありましたが間違ってたらすみません。


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