新石器時代
−縄文時代− 1万(13000、12000年という説もあり)年前〜BC(紀元前)300年頃
氷河期を終え、次第に温暖化はじまり、約1万年前頃には、氷がとけ大陸と切り離されて日本列島が形勢されました。
この気候変化により、ナウマウ象、ヘラジカなどの大型獣が絶滅し、イノシシ、ニホンシカなど動きの早い中型の動物が主流になり、植物では針葉樹林に変わり落葉広葉樹林が広がるなど自然環境が変化しました。
自然環境の変化に伴い、日本列島に住む人々の生活も大きく変わり縄文文化が成立していきました。
縄文時代の特徴
@土器の出現⇒縄文土器
森林の変化に伴い、植物質食料を利用する比重が増えたことから煮沸(しゃふつ)調理が必要とされ、そのため考案されたものが土器であると考えられてます。
土器の出現によって、木の実のアク抜きなどにも利用でき、新たな食材を確保できるようになりました。
A弓矢の使用開始
イノシシなどの動きの早い動物へ対応するため、弓矢が使用されるようになってきました。その矢の先端には軽い石ぞくなどの磨製石器が使用されるようになりました。
B磨製石器が広く普及
縄文時代になると、これまで使用していた打製石器に加え、石を研磨した磨製石器が使われるようになってきました。
縄文土器
約1万年前頃から粘土を低温で焼い土器が作られるようになります。この時代に出土する土器の多くに、土器の表面に縄目の文様が入っていることから縄文土器と呼ばれ、この時代のことを縄文時代と呼びます。
縄文時代とは新石器時代に区分されていますが、縄文土器が出てくれば石器は旧石器でも縄文時代と区分しているようです。
この縄文土器は形態と文様の変化をもとに6期に区分されています。
区分 年代 特徴 代表的な土器の形状 草創期 BC10000〜BC8000 形状は丸底または、平底の深鉢形が一般的
文様は隆起線文が多く、他にも爪形文や押圧縄文などの文様丸底土器 早期 BC8000〜BC4000 形状は土面に突き刺し安定させるため、尖底の円錐型深鉢が一般的
文様はより糸を軸に巻き回転させるより糸文、刻みをつけた軸棒
を転がす押型文、樹枝などで線を彫る沈線文など尖底土器 前期 BC4000〜BC3000 形状は平底深鉢が一般的、他に浅鉢、台付土器が出現
文様は右より糸と左より糸を連結して文様をつける羽状文様など平底土器 中期 BC3000〜BC2000 形状は口縁部分を炎様に飾った火焔土器が有名、他に深鉢型・注口
土器も作成
文様はうずまき文など複雑な文様火焔(かえん)土器 後期 BC2000〜BC1000 形状は深鉢、浅鉢、注口が一般的、他に釣手型、双口型など変化に
とんだ形状
文様は沈線文、摩消縄文など注口土器 晩期 BC1000〜BC300 形状は器形を磨いた亀ヶ岡式土器が有名、特殊な器形が出現
文様は繊細流麗な文様、独特な摩消縄文など亀ヶ岡式土器
※縄文土器は北海道から九州、時期によっては沖縄までの広い範囲で広まりました
縄文土器の基本は深鉢であり、前期になって浅鉢が出現、後期・晩期には注口土器(急須のような形態)や皿、壷などさまざまな形の土器が出現しました。
縄文時代の生活
・生業
基本的には狩猟・魚労・採集生活
縄文時代には何を食べていたかというとそれは遺跡である貝塚から見ることができます。
狩猟(弓矢や落とし穴を使って捕獲)
⇒主にニホンシカとイノシシ、他にもカモ、キジ、白鳥などの鳥類、クマ、たぬきなどの獣類
魚労(丸木舟(まるきぶね)が各地で発見されており、遠洋での漁も行われる。釣り針も貝塚で発見)
⇒カツオ、マグロ、鯨、イルカなど
採集
⇒貝類:シジミ、ハマグリ、アサリなど
⇒植物性採集:栗、クルミ、トチ、ドングリなどの木の実
貝塚(国語辞典より)
古代人が食べた貝の殻などが堆積したもの。ヨーロッパでは中石器時代以後、日本では縄文時代から弥生時代中期のものが見られる。土器・石器・人骨・獣骨などがまじって発掘される
農 耕
縄文時代ではすでに農耕が行われていたという説が根強く、焼畑農耕により、アワやソバを栽培していたという説があります。
稲作については、弥生時代に入ってからと定説ではなっておりますが、近年では縄文時代後期・晩期の水田跡が発見され、定説を覆す発見となっています。
・住居と集落
縄文時代になると、これまで岩陰や洞窟などに居住していた旧石器時代から狩りや採集に便がよい場所への定住がはじまります。住居は竪穴式住居と呼ばれるものでした。
竪穴式住居とは地面を掘りくぼめた竪穴に、数本の柱で支えられた屋根をかける構造のものでその中央には炉があり、調理をしたり暖をとったりする様式になっていました。
1軒の住居に住んだのは一世帯の家族であろうと考えられ、5〜20軒ほどの家族(住居)が一箇所に集まって生活してました。これを集落といい、水場に近く、水はけのよい台地上に円形が楕円形に集落を形成してました。集落の中央には広場になっており、そこで獲物の解体をしたり、祭りなどをしていたと考えられています。
集落の人々は助け合いながら生活し、男は狩猟と石器づくり、女は木の実の採集や土器づくりに従事し、統率者がいた可能性はありますが、身分の上下関係や貧富の差はなかったものと考えられています。
また、狩猟や採集を正業にしていたことから、比較的短期間で移動を繰り返していたものと考えられます。
これまでは縄文時代の集落の一般概念でしたが、三内丸山遺跡(青森県)、新潟県奥三面(おくみおもて)遺跡などで、大規模で長期間定住の遺跡が発見され、この一般概念を塗り替えるような発見がされています。
三内丸山遺跡(青森県)
床面積が100uを越える超大型竪穴式住居群、約1500年間という長期定住の集落
新潟県奥三面(おくみおもて)遺跡
大規模(構成員が千人以上)、長期定住(何千年)の集落
・信仰
自然の驚異と対峙した生活を送っていたことから、あらゆる自然物や自然現象の中に霊威の存在を認めた、アニミズムを信仰(万物には精霊が宿る)しておりました。
呪術の力で病気や災難を取り除く。
霊に祈ることで獲物の増加を願う。など
呪術的遺物に女性をかたどった土偶や男性を象徴的に表現した石棒があります。
土 偶
縄文時代の遺跡からは土でできた土偶と呼ばれる人形(素焼きの人形)がよく出土します。
土偶はほとんどが女性の姿で、胸と腹をわざと強調して作られています。
土偶は妊婦をかたどったものが多く、これは女性が子供を産むという自然の行為を表現したもので、自然の恵みや子孫繁栄、安産などを祈る呪術などに使われたものだと考えられています。
埋 葬
縄文時代では亡くなった者を手厚く葬っていたことが貝塚などから判明しています。
この時代の一般的な埋葬方法としては、遺体の手足を折り曲げる形で埋葬する屈葬(くっそう)と呼ばれる方法です。他にも体をまっすぐ伸ばして埋葬する伸展葬(しんてんそう)という方法もありました。
また、土器の中に人骨を入れて埋葬するカメ館葬と呼ばれる方法も見られます。
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