神話と伝説にみる王統

琉球の歴史書は琉球王府が編集した「中山世鑑」(ちゅうざんせいかん)、「中山世譜」(ちゅうざんせいふ)、「球陽」(きゅうよう)があります。これら歴史書は日本書紀などを参考にしたようで神話や伝説の部分が多く入っており、琉球の開闢(かいびゃく)神話、天孫王統、舜天(舜天王統の中で創始者の舜天だけ)などは歴史的事実では否定されています。
歴史書名 編者等 作成年
中山世鑑 羽地朝秀(はねじちょうしゅう) 1650年
中山世譜 蔡鐸(さいたく) 1701年
球陽 鄭ヘイ哲(ていへいてつ:へいの文字が変換できませんでした) 1745年
琉球の開闢(かいびゃく)神話
天帝の命を受けた阿摩美久(あまみく、あまみきよ)が沖縄の島々をつくり、そこへ一組の男女を住ませました。その男女の間には三男二女の子が誕生し、男は長男が王、次男が按司、三男が百姓のはじまりとなり、女は長女が大君(国の神女)、次女は祝女(のろ:地方の神女)のはじまりとなったといわれてます。
長男の王は天孫(てんそん)といい、この王統は25代17800年も続いたということです。
17800年というと、天孫王統の滅亡が西暦1187年ですので計算すると紀元前16613年、大まかにいうと今から18000年前に王統がスタートしたことになります。18000年前というと港川原人が住んでいた時代で旧石器文明が営まれていた頃です。その頃にこういった文明が存在していたとは考えられないことから、歴史的事実とは異なることになります。
まあ、王統の歴史を神格化しょうと描かれたものでしょう。
それは置いといて、琉球の開闢神話によると天孫王統のときに、沖縄島を国頭、中頭、島尻の3つにわけ、民に農耕や家屋の造り方を教えたとされています。
この天孫王統の次に登場したのは舜天(しゅんてん)王統です。
1187年に舜天が王に即位したことから舜天王統がはじまります。この舜天王統から史実としての王統のはじまりだとされています。
しかしながら舜天王統の開祖の舜天については、居城や支配地域が不明なことや、舜天に関するオモロ(琉球の古い歌謡)がみあたらないことから、その存在が否定されています。

この舜天王統ですが、沖縄全土を支配しているわけではなく、歴史書が中山の流れである琉球王府が編纂したのでそのようなつくりになっているだけであって、実際には浦添を中心とする中山の範囲で勢力をもっていた王統ともいわれており、その辺の史料は存在しないので真実は不明ですが、12世紀頃にはじまった、多数の按司たちが争うグスク時代が存在したなら急に琉球統一王統ができるというのも不自然な流れであるため、前述したように舜天王統は中山の流れであると考えられます。
さて、三山時代なのに話が横道にそれましたが、次のページから中山、南山、北山と各勢力1つ1つについて説明していきたいと思います。


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